昭和46年03月31日 夜の御理解



 今日午後の奉仕をさせて頂いております時に、日田の綾部さん達が、親子で新しい御信者をお導きして、お参りして見えました。それは日田の中学校の先生をしておられる。あちらの長男の一義さんと、小学校の時から中学、高校一緒でもう大変、仲が良いお友達だそうです。親一人子一人の中からとてもそういう事の出来ようはずのない中から、子供さんを大学にやられて、そして愈々こっちの中学校に就職して、これからお母さん楽になってもらえるよという時から病気をされる。
 子供さんが病気をされる、二度も続けて火傷をされるもうとにかく、子供が出来て此の方、もうとにかく自分の上に、どうしてこんな難儀な事が続くだろうかと言う様な事が続いておる。それを見られて、その一義さんがねとにかく最近、家の母が一生懸命参っておる、合楽の金光様に、話だけでも聞いてみないかと俺も一緒に行くから、どうでもその金光様のお話を聞いてみらんかと言うてその、進めておられたらしい。
 そしたら今日そのおばさん、今日僕を連れて行ってくださいと言うて見えましたから、と言うて今日、一緒にお導がありました。それで話を色々聞かせて頂いて、ほんとに世の中というものは、思うようにならんもんだなぁ、これからたった一人のお母さんに、大変な難儀をかけたから、これから親孝行が出来るよお母さん、と言うたのもつかの間、もうまた次々難儀なことが起ってくる。
 最近はその学校の先生をなさっておられるのに、何かこの足の何とかという、筋を切られましてね、あの何かスポーツをなさっておられる時、そして歩くのに不自由なぐらいにあられる。もうこれから僕のそのこれからの幸せの夢と言うものは、壊れてしもうたとまあ親友であるところの、一義さんにそのことを話された時に、一義さんがそうやってここの話をなさったと。
 それからご理解をそれから私の話を、しばらく聞いて頂いたんですけども、ほんとにもう、人間がやっぱ神様にすがらなければならないと、いわゆる悲しい時の神頼みなんて、もう、ほんとに良くないことだと思いますけども、と言われるから私は申しました。ほんとにねもう暑い時に、初めて氷の冷たい有り難さが分かるのですよと。ほんとに寒い時にです寒い思いをしておる時にです、凍えるような思いをしておる時にです、言うならば火の有り難さが分かるようなものでね。
 あなたが例えば是から親孝行しようとされておられたのが、あなたの思い通りになると言う事がほんとの親子孝行やら、ほんとの幸せに繋がる事やら分からない。丁度そこからもうどうしてこんなに、次々と難儀な事が起ってくるだろうか。しかも火傷を二回もするなどと言う様なその悲惨な事が、起って来ると言う様なそういう中にです。何かをそこに感じられた時にね、初めて神様とこう言われる事になったのですから。
 そこん所をキリストは、愈々ね天国に近づける、という風に言ったんじゃないでしょうかと言うたら、あのキリストが言っている、天国が近づけると言う事は、そういう意味なのですかと言うて、それから本気で私の話を聞いて下さいましてね。実は先生私も今度病院に入院しとる間にです、ほんとに健康であった時が一番有り難い事だと言う事を分かりましたと。ほいで今度の病院に入院した事も、是は無駄ではなかったなと、そこまでは分かりましたと、こう言う。
 やっぱ真剣に何かを求めておる時ですから、まぁどうしてこんな病気をしただろうか、どうして怪我をしただろうかと言う風には、だけではなくてその間に、感じられた事は、日頃健康であると言う事が、有り難いと言う事が分かったと。ところがここまではね、その、まあ先生の仰ることはよく分かるのですけれども、実際現実の世界に入ってみると、足をこうちんば引いたり歩くのに、歩行困難であったりするとです。
 自分の様な不幸せなもんなあるだろうかと思いますと、こう言うのである。それでそこからがねそこからが、私金光様の御信心だと。痛い事は痛い痒い事は痒いと願うていくところの信心、そこからおかげを受けていくという信心。そしてね結局こうなんですよと言うて、あの私は、ちょうど今日、お書物を読ませて頂いておる中に、親鸞聖人のことが、書いてありました。
 その親鸞聖人の言葉の中にね、「善き人の仰せを蒙りて、信ずるほかに、別に子細無きなり」と。「善き人の仰せを蒙りて、信ずるほかに、別に子細なきなり」と、もうこれなんですよと、理屈じゃありません。だから、そこで、例えば暑い時に、氷の有り難さが分かり、氷のように冷たい思いをする時に、暖かいことの有り難さが分かる。そこからです、そこからはもう理屈じゃありません。
 善き人を見出す事なんですよ。親鸞はこれを、例えば師匠法然の事であろうと思いますと善き人とは。だから善き人が事実おかげを受けておられる事実を、目の当たりにしながらその人の言われる事をです、素直に信ずるほかにほかに子細は無いのだと、親鸞は言っております。私もそうです。もうとにかく私は何にも分からない。分からないけれども、教祖金光大神が仰せられた事を、もう素直にそれを聞く以外には無い。
 確かにほかに子細は無いのです。というてそのお話をしましたらね、またすぐそこのところを分かられて、これからとにかくここの朝のご祈念が、六時までもかかると言う事でございますから、それでは学校に行くのに差し支えますから、これから日曜だけは、是非お参りをして、先生のお話をまぁ拝聴したいと思いますからと言うておられました。ちょうどその出掛けに、麻生さんから、麻生さんが来てから話をなさる。
 今そのこれは日本一の仙人だ、まあ言われておる何とかちいう仙人から、手紙が来たち、その仙人と麻生さんが色々そこんところに、自分の子供を修行にやったぐらいですからね、去年の夏にですから大変な、そういうことがまぁいうならば興味を持っておられる方なんですから。その仙人から最近、合楽にこう言う先生が、自分が見出してこういう信心をさせて頂いて、日々例えば八里の道を、二回も日に参る事が楽しみになったと言うような事を手紙に出されたら、それに対するね手紙が来た。
 それでそのあちらの書かれたものを読んだり、テープを聞いたりさせて頂いてるようなことも書いてあったら、その書いたものではいけん。もう活字になったものでは、それは効果は無い。今あなたがそういう修行をしておるならばです、とにかく朝五時からその話しがあるならばです、もう先生の話を、もう頭から浴びるように聞け、必ずおかげを頂くという意味の様な事を書いてあったと言うて、言うて来なさる。
 その事を聞いてこちらへ見えておられる訳です。ここでご理解を頂かせて頂いても、成程成程合点が行くが、朝のご祈念に参って、ご理解を浴びるように頂いたら、その浴びるそのものが、徳の水を浴びる様なものだと。ここにですいわば善き人を求め得たと言う事がまぁ有り難いんだという意味の事が、その仙人の手紙に書いてあった。もうやっぱ日本一の仙人ともなると、素晴らしい事を言いますと言うて。
 まぁ私はその事を丁度お話しに見えた所に、その今日の竹内先生ご一緒に御参拝、そう言う事も聞いてきておられたものですから、まあ綾部さんが言われるように、私にとっては、今の合楽の先生が善き人なんだ。それは場合にはね、そげなことで大丈夫じゃろうかと、ひやひやまたは大丈夫じゃろうかと思う事もあるて。けれどもそこをね、親先生任せにならせて頂いて、一年間愈々そこん所の信を強うしていきよると言う事を、綾部さんがその方に話しておられます。だからそういう例えばその生き方。
 今秋永先生がご祈念前に、今日はちょうど五時から、筑水連合会の幹部の方達の会合がございましてね、まあ一年で計画を立てられる会合だった。そん中に甘木の平田さんが、本部の方の信徒会の方も辞められた。地方九州の地区のほうの、それも辞められる事になった。そこで今度筑水地区の信徒会長も辞めさせたい、辞めて貰いたいいわゆる話し合いがあるそうです。
 その話がほんなら色々だそうですから、秋永先生がその中の中心になる人を捕まえてから、話したというて、いまここでお届けしておられますが、あんたがたは平田さんの信心をどう思うておるかと。今の現在、金光教の信者ん中で、あれだけの信心とあれだけのものを事実、あの御比礼を現しておるという信者が、他にあるかと。どう言う所が、平田さんが辞めて貰わなければならんのか。
 今の筑水地区に誰があの人をおいて、信徒会長になる人があるかと言うたら、まぁ色々この筑水地区でも、いろんなそれがやっぱある訳なんです。それはどう言う事が原因しておるかと言うと。どこに行かれてもです、とにかく甘木の初代はこうだった、安武松太郎先生はこう仰ったと。私もその信心を頂いて、こうおかげ頂いたという話だけしかされない。それがね所謂安武臭がぷんぷんしていけないというのが、皆さんの言われることだったらしいですね。
 それで秋永先生が言われたことがですね、例えばその方佐野ていう方ですけど、「佐野さんて、あの今のねその平田重吉さんからね、師匠安武を取ったらね、あの人の信心に何が残るかち。それが素晴らしいのじゃないか、お互いが頂いておる親先生を、ほんなら安武先生ほどに現し、平田さんほどに現し、平田さんほどに安武を現すことに努力をしておる、私どんが、一人一人がそういう信心になったらどうなるのかと。
 昨日私は夕べのご祈念にお参りさせて頂いて、うちの親先生から、ご理解を頂かせて頂いたが、赤い人参がね、白い大根を見て、赤になれと言うてもそれは無理だと、白い大根がです、赤い人参に、白くなれというてもいけないのだ。牛蒡のいわば、
   (テープ切れ)